清水の供え

* 天地の気運を受ける清水なので、これを飲みなさい。(道典4:45:9)

* 黄応鐘の息子が病気にかかり危篤状態にあったので、応鐘が清水を供え、上帝様がおられる所に向かって治して下さるように祈ると、その病がすぐ治った。(道典8:46:1)

お年寄りの方は幼い時、おばあさんや母親がかめ置き台の上に清水の入った器を供え、誰かに向かって合掌して祈る姿を目撃した覚えがあるはずです。
これは数千年もの伝わる、朝鮮民族固有の神教信仰の伝統です。
神教の脈を継ぐ甑山道の代表的な信仰文化は、清水を供え、太乙呪修行を行うことです。これが、甑山道信仰の表象です。
甑山道信仰人は、天地の父母なる上帝様、太母様をはじめとして、神明造化政府の大聖神、そして近くは自分の先祖神に清水を供えます。

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何故、清水を供えるのでしょうか?
上帝様は、これに対して一言で‘天地の気運を受ける清水’だと言われました。清水を供えることで、無限なる天地の気運を授けてもらえるのです。昔から、薬水とも言われてきた清水は、宇宙生命の本体であり、万物の根源を象徴します。

誠意を込めて清水を供え、太乙呪修行をする中で、世俗生活でのチヂに砕けた心の破片が一つにまとまり純化されます。そして、自身の霊魂が明化、聖化され、天地の親であられる上帝様と太母様が施される、天地気運と福禄を受け取ります。
いろいろな宗教に、水を神聖視する儀式がありますが、その中でも清水を供える信仰は、宇宙原理と神道が一つになれる一番上品な信仰文化です。
* それぞれが清水を飲むと、“これは、福禄である。”と言われた。(道典6:62:5)
上帝様は、“清水を供えて修行を行った後の清水は福禄であるため、この清水を飲みなさい。”と言われました。福禄とは、人間の生命を維持し、生活を豊かにするために必要なすべてのことを称する言葉です。
清水は、人間を霊的に、肉体的に、調和をもたらすのに大きな効力があります。始終一貫した真心で清水を供え、太乙呪の修行が習慣化すれば、自然とすべての病気が消滅し、霊的にも大きく成熟することができます。
[甑山道道場]を訪問なされば、清水の供え方や修道の方法を伝授されることができます。