一、人間として来られた真の神様、甑山上帝様

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上帝様はこの地に人間として降誕される前に、まず聖霊としてこの世に下りて、人間の生の様子を隈なく見回されました。兜率天の宝座から西洋の大法国、今のローマ・バチカン市国に降りて、人間の万象を見回られた後、韓国の全羅道母岳山金山寺の弥勒仏像に聖霊として30年間、臨御なさいました。
そして、1871(辛未)年、9月19日(陰暦)、韓国の全羅道の地に、「姜」の姓を取って、御自ら人間として降誕なさいました。上帝様が降誕された客望里はソンバレギともいい、天の主を待ち望むという意味を持っています。
上帝様は青年時代、生まれた村の主山である甑山の名を取って、「甑山(ジュンサン)」をご自身の号にされました。
この「甑」という字には「成熟、完成、結実、秋」という意味が含まれています。これは、上帝様の真理が秋の新たな文化であることを象徴しています。

1)神様の本来の呼び名、「上帝」
最近、神様を信じるといえば、まるでキリスト教を信仰しているように思われます。しかし、東洋ではキリスト教が入る遥か前から、宇宙の最高の統治者の神を「上帝」と呼びながら崇めてきました。

「上帝」の「上」は二つの意味を持ちます。一つは「天上の、天上にいらっしゃる」という意味であり、もう一つはそれ以上高い方はいないという「至尊無上」の意味があります。「帝」という字を『漢字源』から探してみると、「世界をとりまとめる最高の神」と書いてあります。つまり、「帝」といえば、人間の王様を浮かべますが、本来は宇宙の神様を指す言葉でありました。
従って、「上帝」とは「天上にいらっしゃる至尊無上の神様」という意味であって、天地と人間と神明を統治なさる「宇宙の最高の神」を意味します。

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東洋では、古代から国家の統治者が天子の宝位に上がる時には上帝様に祭祀を捧げる「天祭」を行ってきました。現在も各地にその痕跡が残っています。
2) 甑山の意味
甑山とは成熟、結実の秋の精神を象徴します。「甑」は「熟す、蒸す」という成熟の精神を表し、人類救済と世界開闢の根本精神が込められています。秋は生命が実を結ぶ成熟の時であります。