二、上帝様は何故人間として来られなければならなかったのか

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先天は相克の運である。相克の道理が人間と万物をつかさどり、天と地に戦乱が絶え間なく続いた。それで、天下に冤恨が溢れんばかりに満ちた。今、この相克の運を締めくくろうとするが故に、大きな厄難が一斉に起こり、人間世界が滅びるようになった。相克の冤恨が爆発すれば、宇宙が崩れ落ちるのである。このことを天地の神明が心配し、哀れに思って救済を志したが、何ら方策がなかった。そこで、九天にいる私に訴えてきたので、私はどうしてもこれを退けることができず、この世に降りてきたのである。それゆえに、今、私は大きな災いを小さな災いで食い止めて収拾し、造化仙境を開こうとするのである。

(『日本語道典』2:12:4~11)

真表は私に大きな因縁がある。(『日本語道典』3:69:1)
そのため利瑪竇は、全ての神聖と仏陀と菩薩と共に、人類と神明界の大きな厄難を、九天にいる私に訴えてきた。そこで、私は西洋大法国の天蓋塔に下りて来て、利瑪竇を連れて三界を見回り、天下を大巡した後、この東方の地に留まったのだ。それから、僧侶の真表が釈迦の当来仏讃歎説偈に依り、来るべき未来の消息を得て、真心を込めて祈願した母岳山金山寺の弥勒金像に臨んで三十年を過ごしながら、崔水雲に天命と神教を下して大道を立てるようにした。しかし水雲が、儒教の枠を抜け出せず、真法をもって神道と人文を立てて、大道の真の光を照らすことが出来なかったので、やむなく甲子年(1864)に天命と神教をたたんで、辛未年(1871)に、私が自らこの世に下りて来たのである。『東経大典』と『水雲歌詞』にある「上帝」とは、私のことを言ったものである。

(『日本語道典』2:26~2:27)

今や、全天下が大病にかかっている。そこで、私が三界大権を主宰し、造化をもって天地を開闢し、不老長寿の仙境を建設しようとするのだ。私は玉皇上帝である。(『日本語道典』2:12:1~2)