信仰生活

* 天下事は生きることと死ぬことの何れかだけである。(道典 9:9:2)
なぜ甑山道を信仰しなければならないのでしょうか?
これは、‘宇宙の統治者なる上帝様が、なぜ人間の身をもって地上に降誕なさったのか?’という問題と一脈相通じます。
上帝様がこの世に来られた目的は、宇宙一年の秋の開闢期を迎え、絶滅の危機にさらされている人間と神明を救うためです。
上帝様は、宇宙の秋の人尊時代を迎え“死滅の危機に処した人間と神明を救ってください。”という天地神明の切実な哀訴を受け入れられ、人間の肉体でこの世に来られ、人尊上帝様として病んだ先天の天地を閉じて、新しい天と地の秋の天地を開く、天地開闢公事を執行なさいました。
上帝様は、5万年の先天歴史を奇病な病である病怯をもって審判なさり、これを克服する医統と太乙呪を伝授なさいました。これをもって、病怯より人類を救い、後天仙境を建設する‘成事在人’の重大な使命を甑山道信仰人に背負わせて下さいました。
甑山道信仰が、既存の先天(既成)信仰と根本的に違う点は何でしょうか?
* 将来、天地から一里に人一人見当たるか見当たらないかする程に皆殺しする時にも、人間の種は残すべきではないか。天下の民の生死は君らの手にかかっているのだ。(道典8:6:6~7)
甑山道信仰を一言で言えば、秋の開闢期を迎え、天地の代わりに人間の実を取り入れすること、すなわち天地の働き手になり天地の生り物である人間を救い出すことです。
このことは、129,600年の宇宙1年の中で、宇宙の夏と秋が交替するこの時期だけに起こる1度しかない出来事です。.
上帝様は60億人類の生命の種を収穫して、地上に仙境文明を建設するこの仕事を‘天下事’とおっしゃり、これを担当する信仰人を‘働き手’、その働き手を導く指導者を‘大頭目’と呼ばれました。
したがって、甑山道を信仰することは個人の立場で福を求める祈福信仰でなく、大開闢期に天下蒼生を救う天下事のための信仰です。