|
Monthly Archives: July 2012
父母を天地のように敬いなさい
生活信仰 先霊奉公 父母を天地のように敬いなさい 父母を敬愛しない者は、天地に仕え難い。天地は億兆蒼生の父母であり、父母は子女の天地である。子孫が先祖を冷遇すれば、先祖も子孫を冷遇するのだ。今や、人種の種を選り分ける後天の秋の運数を迎えて、先祖神を粗末にする者は誰も生き残れないだろう。(上帝様)
人は行いによって名を得るもの
生活信仰 言行 人は行いによって名を得るもの 天下を公平にしようとする思いを持ってこそ、神明の感化を受け、すべての事に成功があるのだ。人がいくら成そうとしても出来るものではなく、何事も天地神明が入ってこそ出来るのである。持ち主のないあの木の実にもその名があるように、木はその実を以って名を得、人はその行いによって名を得るのである。 (上帝様)
人は深くなるべきである
生活信仰 言行 人は深くなるべきである 人にはそれぞれ、大なり小なり器がある。大きな器になるべきであり、小さな器は振り回されやすく、風が吹くだけでも飛ばされてしまうのだ。人は深くなるべきである。大きくなる人は、心が深くて物事を広く考え、小さなことは気にしないのだ。君たちはこれからやって来る事に力を注ぎ、過ぎ去った事に骨折りするな。 (上帝様)
生きる気運を得る道
生活信仰 言行 生きる気運を得る道 この乱れ果てた邪悪な世の中では、心を正しくして気運を整え、道をよく磨き、身体(からだ)を楽にすることが、生きる気運を得る道である。五欲にまみれ、煩悩から抜け出せない者は、玉枢門を開ける時、骨の節が捩じれて生き残れないであろう。 (上帝様)
福と禍は言葉の端から
生活信仰 言行 福と禍は言葉の端から 言葉は心の音であり、行いは心の跡である。良い言葉を使えばそれが福となって、漸次大きな福を呼んで自分の身に至るが、悪い言葉を使えばそれが禍となって、次第に大きな災禍となり自分の身に至るものである。
正しく生きる道
生活信仰 言行 正しく生きる道 「邪悪なものを捨て正しく生きる道とは、どういう道でしょうか」 ある聖徒がそう伺うと、上帝様はお答えになった。 「誠敬信と言うのではないか。心を偽ってはならず、生命を害してはならない。人倫を損ったり、人々を導き誤ってはならない。また、姦淫をしてはならず、財物を貪ってはならない。自らの分限を守って満足することを知り、心を磨くことに尽力しなさい。誠実な心が一時たりとも途切れないようにし、日頃から広く徳を施すことに努めなさい」
天の福を得るように努めよ
生活信仰 言行 天の福を得るように努めよ 天地には量り知れない大きな福がある。世人のちっぽけな福を羨まず、天の福を得るように努めなさい。 (上帝様)
他人を赦すことに務めなさい
生活信仰 平和と赦し 他人を赦すことに務めなさい 口論の末に殴られたとしても怨まず、殴ったその手を撫でて慰めなさい。君たちは他人を赦すことに努めなさい。計り知れない徳があるだろう。仇怨を解いて恩人のように愛すれば、徳になって福を成すのである。悪を悪で報いることは、血で血を洗うことと同じである。(上帝様)
隻を作るな
生活信仰 平和と赦し 隻を作るな 他人から恨みを買うな。隻となって返ってくるだろう。他人を憎むな。その人の神明が先に知り、これもまた隻になって返ってくるのだ。仮に、自分を打つ(ぶつ)者がいても、その手をさすって慰撫するが良い。 また、人が力説する時には、たとえ少しぐらいの間違いがあったとしても、それが大した事でなければ、敢えて反駁しない方が良い。それもまた隻となるからである。好意を持って人がくれた食べ物は、たとえそれが不味くても、またそのため腹をこわしたとしても、顔に出すべきではない。せっかくの気持ちが傷ついて、これまた隻となるからである。 (上帝様)