解説

解説
『道典』の勉強は、究極的には上帝様(1871~1909)と太母様(1880~1935)について勉強することです。『道典』とその聖句を集めた『宇宙の秋を迎えて』には、この世に人間として来られた上帝様と太母様の生涯と大道、そして降世の究極的目的が集大成されています。『道典』の内容は、上帝様と太母様に仕えていた当時の聖徒、及びその弟子や子孫たちの証言を数十年間、採録して成し遂げたものであります。
現在甑山道の働き手たちは、上帝様と太母様の真理に感化を受けて、全国に道場を開き、間もなく訪れる開闢とそれに続く宇宙の秋、そして仙境世界に関する上帝様の大道を世の人たちに伝えるという聖なる任務を遂行するため世界中で活動しています。
甑山上帝様
孔子、釈迦、イエスは、私が用いるためにこの世に遣わしたのである。 (道典2:43:6)
 世界の全ての宗教ではその呼び名は異なっていても、同一なる最高神を崇めています。その方は自然摂理を司って、宇宙を主宰なさる統治者の神であらせられます。東洋では、その方を遥か昔から『上帝様』と呼び崇めてきました。『上帝』の「上」には「その上がない、一番尊い」という意味があり、「帝」には「統治者の神」という意味が込められています。キリスト教では、その方を「父なる神」、「白い御座の神」と呼び、仏教では「弥勒尊仏」、「兜率天の天主」と呼び、儒教や道教では「上帝」または「玉皇上帝」と呼んできました。
今や、過去の古びた天と地、すなわち先天文明時代が終わり、後天への激動の転換期である開闢が迫りつつあります。しかし、天地、人間、神明たちがすべて病んでしまい、このままでは救済を受けることが出来ません。そのため、上帝様がこの世にいらしたのです。
一八七一年、辛未年、上帝様は朝鮮の地、客望里という村の貧しい姜氏家門に御聖誕なさいました。「姜」は現存する姓の中で、最も古い姓です。上帝様の御名は一淳であり、後に、完成、成熟を意味する「甑山」という道号を用いられました。「上帝様」という呼び名は、「統治者の神」を意味し、「甑山」とは人間として来られた上帝様の道号である故、「甑山上帝様」とは人間としていらっしゃった統治者の神を意味します。
一九〇一年、辛丑年、上帝様は天上で自在に使われていた天地の無窮なる造化権を地上で取り戻されました。上帝様は、風、雪、霜、雲、雷を自在に操られ、激しい嵐の中でも一粒の雨にも濡れることなくお歩きになりました。時には、昇る太陽を止まらせる権能をも見せてくださり、聖徒たちに「日と月も私の命に従って運行するのだ。・・・ 私は天地日月である。(道典4:60:11~14)」とおっしゃいました。上帝様は、ご自身の造化権能をもって、無学の者、病人や抑圧されている者たちの苦しみを解いて下さいました。これを見た聖徒たちは、上帝様が弥勒仏であり、玉皇上帝様だと確信しました。
上帝様は、「全てのことが、私から新たになるのだ。(道典2:11:9)」と宣言なさり、それまで誰も行うことのなかった、天と地を改めなおすという天地公事を執行されました。これを以って、人間と神明を遍く救済するという偉業をなしたのであります。天地間における神明や人間たちの病を癒し、新しい世の中、新しい文明を開くために、天地神明たちと共に度数を組んでおかれたのであります。天地公事の究極的な目的は、人類が開闢期の艱難を無事に乗り越え、宇宙の秋に入って仙境世界を建設できるよう、その道を開いて下さるためのものです。
九年間、公事の聖業に全身全霊を傾けられた上帝様は、この世で為すべき仕事を全て終えられたことと、天地公事を完遂するために天上に戻らなければならないことを、聖徒たちに宣言なさいました。そして一九〇九年、己酉年、六月二十四日、肉身を捨てて、天上の宝座に戻られました。
太母高首婦様
上帝様は御天なさる前に、ご自身の道権を受け継ぎ、天地、人間、神明たちを救済するという聖業を継承する者を定められました。この方がまさに太母高首婦様であります。
一八八〇年、庚辰年、三月二十六日、太母様は、朝鮮の全羅南道潭陽郡で降誕なさいました。名字は高、御名は判礼であられます。
上帝様はご自身の継承者を「首婦」と呼ばれましたが、これは「あらゆる生命の母」、「神の配偶者」を意味します。甑山道ではこの方を「首婦様」、または「人間と神明の大いなる母」という意味で「太母様」とも呼びます。上帝様は、男性中心の儒教社会であった朝鮮時代に、男性ではない女性に宗統を伝授なさいましたが、これは新しい正陰正陽の時代を宣言なさったものであります。
先天の文明は、陰を抑圧し、陽を尊重してきたので、人間の社会も男性中心に周っていき、女性たちは男性に隷属されて、抑圧を受けて来ました。そのため、女性たちは大きな恨みを抱くようになりました。しかし、これからは上帝様が開いて下さった正陰正陽の新秩序の中で男女同権時代となり、女性たちは抑圧から解き放されて、完全なる解冤をすることになります。この陰陽の調和は、宇宙の秋の世界の基本秩序となり、太母様はそのような後天世界の根源となる方であらせられます。
上帝様が御天なさってから二年後の、一九一一年、辛亥年、九月二十日、太母様は大道通をなさり、上帝様から神権を伝授されました。太母様は、聖徒たちを集めて最初の教団を創立なさり、上帝様の聖業を受け継いで、人事の運路を定め始められました。上帝様と同じように、太母様も無限なる権能を行使して数多くの奇跡を行い、更には死んだ者をも生き返らせました。
一九二六年、丙寅年、母なる神であらせられる太母様は、十年間に及ぶ天地公事を始められました。これを通して、上帝様の大道が現実の歴史の上に根を下ろすようになったのであります。当時の朝鮮は、儒教文化圏の男性中心の社会であったため、太母様は女性の霊的指導者として、度重なる抵抗にぶつかりました。しかし、太母様はすべての逆境を退け、上帝様の大道を歴史の中で広められました。
上帝様の道の継承者としての役割を完遂なさった後、太母様は、一九三五年、乙亥年、十月六日、肉身を捨てて仙化なさり、天上の上帝様の所にお帰りになりました。
後天開闢
甑山道の教えの核心は、後天開闢です。地球にも一年の周期があるように、この宇宙にも12万9600年という大きな周期をもつ宇宙一年があります。地球一年と同じように、宇宙一年も春夏秋冬の四季に変化します。宇宙の春と夏を先天といい、宇宙の秋と冬を後天といいます。この宇宙の季節が変わることを開闢といいます。
宇宙が夏から秋に変わる開闢を秋開闢と言いますが、秋開闢は先天と後天の交替期を示すために後天開闢ともいいます。今は宇宙が秋の開闢に向かっていますので、この本でいう開闢とは、主に秋の開闢を指しています。
先天ではあらゆる生命が胎動、成長し、後天ではその生命が成熟、閉場します。人間が文明を耕して花咲く期間は、先天五万年と後天五万年を合わせて、十万年になります。残りの約三万年は大氷河期として、自然が次の宇宙の春に人間と万物を再誕生させるために休みを取り、元気を回復する時期であります。
先天の相克時代には、人類は絶え間のない争いや戦争の渦に巻き込まれてきました。それに打ち克つためにもがきながらも、成熟に向かうための歴史が繰り広げられました。先天の相克の原理には、人間を成長させる役割もあったのです。この相克の時代が終わると、自然と文明の成熟時代が始まり、相生の世の中を迎えることになります。
宇宙の秋には、自然の秩序によって万物が結実をし、既存の宗教で言われてきた「この世の終末」を克服し、新しい宇宙秩序による後天の新文明を迎えるようになります。先天の不完全な文化はすべて根に戻り、宇宙の春、夏の成長期に花咲いたあらゆる文化の精髄を抜き取って、後天仙境世界を開くようになります。
しかし、この秋の開闢期には未だかつて無かった、未曾有の自然災害が世を襲います。そしてこれは地軸の極移動によって頂点を迎えます。また、人間界と神明界の冤恨の気運が爆発して大戦争が起こり、怪病が蔓延り、人類はほぼ全滅に至ります。そのため、天上のあらゆる神聖と仏陀と菩薩が、上帝様の所に駆けつけて、秋の開闢期に人類を救って下さるよう、嘆願したのです。それで上帝様は、ご自身の無極大道を以って、人類に開闢の艱難を克服して、宇宙の秋に入る方途を提示し、人類を永遠なる生命の道へ導くためにこの世に降世なさったのであります。
後天仙境
開闢を乗り越えた後、私たちが迎える後天の新しい世界は、造化仙境、龍華楽園、地上仙境など、様々な名称で呼ばれています。宇宙の秋に人間は最高度に成熟し、先天の期間、人間たちを苦しめてきたあらゆる限界と災難を乗り越えるようになります。神明と一つになる神人合一を通して霊的な知恵に溢れ、不老長寿し、自在に奇跡が行える能力が備わります。知りたいことが全て自ずと分かり、過去、現在、未来を貫き、天の彼方と地の底まで見通すことが出来、人の思いまでも分かる能力を得るようになります。人間が宇宙で一番尊い存在となるので、人間の身体もそれにふさわしく変わります。それで、これから迎える世の中は「人尊時代」と呼ばれます。そのような世の中が五万年間続くのであります。
開闢の艱難を乗り越え、仙境世界の尊い存在となる道は、もはや一部の人たちだけの秘密ではありません。この本で紹介する『道典』の聖句がこの世を照らすことでしょう。