Monthly Archives: May 2012

正義に立脚して布教せよ

正義に立脚して布教せよ ここ甑山道の真理の世界は果てしなく広く、百時間あっても語り尽くせない。この甑山道の宗道師には微塵の嘘もない。上帝様の真理も語り尽くせないのに、嘘をつく時間などあろうか。私は正義感溢れる人である。一度嘘をつくだけで子孫万代が豊かに暮らせるとしても、私は嘘はつかない。 だから日本の信徒たちも気を引き締めて上帝様の真理に取り組みなさい。「叩かない門は開かない」という諺があるように、門は叩いてこそ開くものである。だから、熱心に求めなさい。求めて、求めて、うるさがられるほどに「教えてくれ」と言いなさい。そのように勉強して、正しく知って信仰すべきである。もう時間もない。気をしっかりと引き締めなさい。そして、自分が生きる真理を知ったのだから、その聖なる真理をもって父母、兄弟、家族も生かし、友人、同窓生など同僚たちも救いなさい。 また、上帝様の信徒ならば、正義感を持って、国と社会、人類のために多くの人々を救うべきである。 これは人類歴史を通じて最も価値のあることであり、五万年のビジョンがあることである。上帝様の真理は結実期の真理なのだ。 甑山道は天地大道 私はこの三年間ずっと日本に来ようと思っていたが、今回やっと来る事ができた。それほど忙しい。どんなに来たくても、なかなか時間が取れない。私もかつては日本語が上手だった。しかし、50年も使わなかったので、通訳を通して話しているが、なんとももどかしく、時間も掛かる。今まで何時間も語ってきたけれど、私が日本語で話していれば、1時間も掛からなかっただろう。ハハハ…。 甑山道では拝礼を二回するが、人類史上、拝礼を二回するところはここしかない。それは、甑山道が天地大道だからである。ここは結実期の理念を授かる所である。一度の拝礼で伝授することはできないのだ。 これは人類文化の結晶体である。甑山道ほど知識が多い所もない。ここは世界的な博士が入って来たとしても新しく学ばなければならない。誰であってもここでは一からやり直すしかない。如何なるものも上帝様の真理とは比較にならない。真理を探究し、絶えず求めなさい。今日はこれまでにしよう。これを一度に語り尽くすことなど出来ようか。

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上帝様の真理は人類文化の結晶体

上帝様の真理は人類文化の結晶体 上帝様の真理は太乙呪に始まり、太乙呪に終わる。では、この上帝様の真理によって生き残った後の社会制度はどのようなものなのか? 君師父の制度になるのだ。分かりやすく言えば、上帝様の真理をもって開闢の世で生き残ることが出来たから上帝様が親でもあり、上帝様の真理を学んで生活するので上帝様が師でもあり、上帝様の理念をもって道成徳立になり全人類が統治されるので、上帝様が君でもある。そのように上帝様の真理は君でもあり、父でもあり、師でもある、統一された文化圏なのである。人類文化のエキスがすべて上帝様の文化圏に入っている。上帝様の真理は結実の文化なのだ。 上帝様の真理をもってこの世が結ばれると、もうそれ以上はない。上帝様の真理は人類文化の結晶体である。ひとつの君師父の文化をもって、後天五万年間続くのである。では、どうして五万年なのか? 秋に実を結べば、大宇宙天体圏が凍結し一切の生物が滅亡する時が来るまで、五万年が残っている。その後天五万年の間、上帝様の君師父の文化をもって全世界が統治される。では、それはどのような世界なのか? 上帝様の真理は不義を根こそぎにし、正義を究明する真理である。真理の面では朝鮮が上帝様の真理を執り行う宗主国になるだろうが、かといって、上帝様は特定の民族を好んだり憎んだりすることはない。来たるべき世の中は、現実仙境、地上仙境、造化仙境である。人々は欲張ることもなく、悪い事をしようとも思わない。その世では皆が道通することになる。秋には万物が熟すではないか。「過ぎし世の中では道通がなかったので、人から陰害を受け易かった。しかし、私の世では皆が道通するので、他人に害を与えようとする者がかえって害を受けるようになるだろう」と、上帝様は語っている。この自然摂理というのは人の思い通りに引いたり押したりできるものではない。人間はただその変化原理に従って生きるだけである。 盲従してはならない 上帝様は「我々の為す事は人が死ぬ時に生きることであり、人を生かして自分も生きた後には幸せに暮すことである」と言われた。私たちは、宇宙を結実される為に来られた真の神様に選ばれた聖徒である。先祖の陰徳で上帝様に出会ったにしろ、自分の福力で出会ったにしろ、死ぬべき世で生きる真理に出会った以上、上帝様を信仰する聖徒として真理通りに信仰すべきではないか。 今私たちは極致文明時代を生きている。しかしその一方、言葉では言い尽くせないほど、この世は狂っている。信仰を間違えると、家庭も滅び、自分も滅ぶ。だから、盲従してはならない。 信仰とはよく知ってするべきで、目の見えない馬が鈴の音を追っていくように、人の話だけを聞いて付いて行くべきものではない。思想信仰をするためには、宇宙変化原理を勉強すれば良い。宇宙変化原理を教育する所はこの地球上で甑山道しかない。 宇宙変化原理を学ぶべき 宇宙変化原理を簡単に言うと、その基本は数である。例えば、一に二を加えれば、三になる。一、三、五、七、九は陽であり、二、四、六、八、十は陰である。これが基本である。以前は五十年勉強しても理解できなかった内容を、今は分かりやすく説明してあるので、誰でも一、二ヶ月勉強すれば、わかるようにしておいた。 宇宙変化原理を知れば、百の大学を出た以上の価値がある。宇宙変化の原理を勉強すれば、世の中の万事が分かる。過去・現在・未来が見通せるのである。これを知ると「上帝様がこの世に降りて来た理由、宇宙変化の法則上必ず来られることになっていたこと、何故100年を期限として天地公事を為されたか。」などのことが自ずとわかってくる。 私から日本の信徒たちに頼みたい事がある。私たちは信仰者である以前に人間としてこれを必ず知らなければならない。宇宙変化の原理を知れば、私たちが生きているこの世界が今どの時点に来ていて、何故上帝様が韓国に来られ、何故そのような公事をなさったのか。また、何故開闢をし、開闢する日数が何故朝鮮は49日で、全世界は3年なのか。そのようなことがすべて分かるようになる。 今はやる気さえあればいくらでも勉強できる。信仰以前にこれは勉強である。人は知らなければならない。人である以上、知っておくべきである。自分がやる気を出してするべきであり、何もせずにじっとしているだけでは何も成されない。自ら自己を改革し、自ら自己を磨くべきである。自分が精誠を尽くして学ぶべきなのだ。親兄弟も自分の代わりはできないのだ。 ここ甑山道は人を騙すところではない。間もなく開闢が訪れる。道典を見れば、上帝様の公事で全てが定められている。一次大戦、二次大戦、三次大戦、その全てを上帝様が公事をもって仕組みを組んでおかれた。五人の神仙が碁を打っているが、日が暮れて暗くなるまですることはないだろう。日が暮れると、サンシルム(上相撲)が勃発し、それと同時に病劫が起きる。包み隠さずに話せば、日本は海の中に沈んでしまう。これは日本の学者たちも言っている事である。 何はともあれ、不幸にも私たちは開闢期に生まれた。しかし、これは国籍、民族を問わず、誰もが迎えることである。人類は皆、ひとつの天の下、ひとつの地球に住んでいるからである。

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子孫は先祖の遺体

子孫は先祖の遺体 では、どのような人が甑山道に出会えるのだろうか?上帝様は「先祖の陰徳で、私を信じるようになるのだ」と語られた。また、「陰徳のある家の子孫が入った後に離れようとすれば、神明たちが『君はここを離れれば死ぬ』と背中を叩いて戻らせるが、悪を積んだ家の子孫が入ろうとすれば、『ここは君の来るべき所ではない』と額を打って追い出す」と言われた。これは何を意味するのか? 人には誰でも、3千年、5千年、6千年前の先祖がいる。つまり自分の体には先祖の遺伝子が入っているのだ。最初の先祖が自分から100代前だとすれば、その先祖が99代前の先祖に遺伝子を伝える。99代前の先祖は98代前の先祖に遺伝子を伝える。98代前は97代前に遺伝子を伝える。そのように子々孫々受け継がれて、今日の私の体まで来たのだ。遺伝因子は取り替えることが出来ないではないか。 しかし世間の人たちはそういうことを考えない。そこにある桃の花は1万年、2万年の昔から遺伝子が変わることなく今日まで受け継がれ、雄しべも雌しべも同じ形で、花の色も変わらず、2万年前の花の形そのままである。同様に人も最初の先祖の遺伝子が継承されて私の体の中にあるのである。わかりやすく言えば、春になって種を蒔くと、芽が出て伸びる。そして、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、処暑…、このように二十四節季に従って、秋の実が生る時まで育つ。それと同様に最初の先祖の遺伝子が子々孫々受け継がれて、現在、私の体内にある。私という人は最初のお祖父さんの遺伝子なのだ。父母が残した財産を遺産という。「遺」には受け継ぐという意味がある。遺産は必ず、息子や孫にだけ受け継がれるもので、血筋でない者はくれとも言えないし、またあげることも出来ない。これは東洋文化圏だけではなく、世界中どこでも同じである。それで受け継ぐという意味の「遺」を使って、遺産というのである。それと同じく先祖から遺伝子を受け継いだとして、私の体を「遺体」ともいうのである。 先祖の陰徳で上帝様を信じるようになる 最初の先祖から子々孫々と悠久な歳月を経る中で、国と民族、社会のために奉仕し、生涯正しく生きた先祖もいただろうし、また反対に、人の物を盗んだり、強盗をしたり、人を殺したり、人妻を陵辱したり、人の財産を騙し取ったり、陰謀を図って罪のない人を死に至らしめた人もいたであろう。それを五千年前の先祖から五千年後の私に至るまで、同時代を生きた神明たちがすべて評価をする。その行いの良し悪しをひとつひとつプラスマイナスして総合的に検討した後、「あいつは悪徳家の子孫だ」と評価されれば実ることが出来ない。反対に、「あの人は功徳家の子孫だ」と同じ世代を生きた神明たちが評価してくれることもある。それは自分の思い通りにはならない。このように先祖たちの陰徳で上帝様を信仰するようになるのだ。 上帝様は、「各姓の先霊神たちが必要な子孫一人を得るために六十年間精誠を注ぐ。しかし一人も得られない者も多いのだ」と話された。今、神明たちは自分の子孫を救うために、現実を生きる私たちよりももっと忙しいのだ。 ひとつ例を挙げれば、「夢にお祖父さんが現れて、『これを信じれば生きられる、信じればよい事がある、甑山道を信じなさい』と言うので来た」と話す信徒がいた。また、「原因もなく体が痛むので、占ってもらったところ、『何時何処へ行けば、助かる道がある』と言われて来た」という信徒もいる。このように各先祖の神明たちが大騒ぎしている。甑山道の信徒たちが道場に座って太乙呪を唱えれば、神明たちも一緒に唱える。ここ日本の信徒たちの中にもそういう経験のある人が多くいるだろう。その神明はみな自分の先祖である。 五千年前、三千年前に死んだ先祖が、食うものを探して空中を彷徨ったり、意地悪をすることはない。その多くの先祖が自分の子孫に付いて、子孫を守り、助けているのである。 子孫は先祖の命の綱 先祖がそうするしかない理由をわかりやすく話そう。五百年、一千年経った古木が、腐って倒れたとしよう。ところがその古木から小さな芽がひとつ生えてきて育つ事がある。それが五百年、一千年経った古木の子孫である。その芽を取ってしまえば、古木は永久に死んでしまう。その芽をよく育てれば、古木も生き続ける。その芽ひとつが五百年、一千年経った古木の命綱なのである。それと同じく、五百年、一千年、五千年経った先祖も、今度の開闢期に子孫が一人も生き残れなければ煙のように消えてしまい、それで終わりである。たとえ障害者の子孫であっても、その一人が生き残ってこそ、五千年、六千年前の先祖神も生きる事が出来るのだ。神明たちは自分たちが生き残るためにも子孫を救わなければならないので、非常に忙しい。その救済の核心が太乙呪なのである。

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天下蒼生の生死が君たちの手にかかっている。

天下蒼生の生死が君たちの手にかかっている ところで、上帝様の公事によれば、人の種は残さなければならない。上帝様は「この世の災厄を私が全て退けた」と語られた。ここ日本の信徒たちは、信仰していながらも甑山上帝様の権威がわからず、誰なのかも良く知らない。「先天の聖人たちと比べれば、孔子よりも少々勝り、イエスよりも少々勝り、釈迦よりも少々勝る方だ」と、このように考えている者もいるだろう。しかし、上帝様はどんな土砂降りの中でも一滴の雨にも打たれることがなかった。現代の臓器手術もそうだし、世のすべてのものは上帝様の公事によって現れたものである。上帝様は死後何日も経った人を生き返らせたこともある。短時間でそのすべてを語ることはできないが、この世は上帝様の公事通りに動いている。この宇宙を主宰する絶対者の神、統治者でなければ、歴史上の神明たちを統治することはできない。上帝様は、「私がこの世の全ての災厄を退けたが、病劫だけはそのまま残し、君たちに生き残る道である医統を伝えよう。」と語られた。医統とは、医者の「医」に統一の「統」である。医という字には生かすという意味がある。つまり、生かして統一する、という意味である。政治も統一し、宗教、経済、文化、社会も統一する。医統を使うときが来れば、全てが一つになる。それでは病劫はどのように来るだろうか? 上帝様の話によれば、開闢のときには、歩きながらも死に、食事をしながらも死に、寝ながらも死ぬ。洪水の如く押し寄せる。 上帝様は、「天下蒼生の生死が君たちの手にかかっている。1里の道で、一人の人に会えるかどうかわからないほど人が死んでいく時でも、人の種は残るべきではないか。」と語られた。天下蒼生とは、60億の人類のことである。即ち「60億人類の生死は君たちの手にかかっている、君たちが頑張れば多くの人を救い出すことが出来、失敗すれば皆死ぬほかない」との意味である。 真の神様からしてみれば、天地で人間農事を営み、ここまで導いてこられたのだから、何としても人間の種を残さなくてはならない。その為に上帝様がこの世に来られた。上帝様は、民族や種族を超えて全人類に奉仕するために、この世にいらしたのである。 上帝様の文化は君師父の文化 天地の摂理からすれば、既存の文化圏というのは、花を咲かせて育てる過程であった。既存文化の聖者たちは真理の一部分を提示したにすぎない。それに大して、宇宙の主宰者、統治者であらせられる上帝様のお造りになった世界は、政治・宗教・経済・文化・社会などの各部門が統合されたひとつの文化圏である。 言い換えれば、上帝様の文化は君師父の文化であり、実りの文化であり、統一された宇宙の結実期の文化である。 では何故、君師父の文化を結実期の文化というのか? この宇宙原理、自然摂理がどのようになっているかを簡単に説明すると、春夏は分裂・発展の時で、生み出しては限りなく分裂・発展してゆく。そして、秋冬になれば、春に産み出して夏まで育ててきたエキスをすべて抜き取って、結実、収斂、成熟し、ひとつの文化圏、ひとつの実を結ぶのである。人類文化も宇宙の秋になると、自然摂理の必然的な帰結として、ひとつの文化、結実の文化が現れるのである。 後天仙境へとつながる生命の橋、甑山道 これから訪れる世界はこれまでに現れた文化圏とは根本的に違う。人類の歴史を振り返ってみると、土地を奪い合う戦争のみに明け暮れてきた。ところが、来たるべき世界では人類の文化が極致に発達し、ひとつの文化、結実の文化になるのである。 春夏の時間帯から秋冬の時間帯に移る時には、草木の開闢が起きる。草木が実を結んだ後には、霜雪が降りて、一株の草も残さず全部枯らしてしまう。それが天地の理法であるからだ。天地は春に物を産み出すだけではない。秋には締め括って無くしてしまうのである。それで上帝様は「天地の大徳も春生秋殺(春には物を出し、秋には滅ぼす)の恩威によって成り立つ」と語られたのだ。 天地が人間農事を営んできて、人間の結実をすることになったのだが、それでは誰が取り入れをするのだろうか? 60億の人類が生きて渡るべき秋の世界、即ち後天仙境への橋、それが正に甑山道である。甑山道は先天の春夏の世から後天の秋冬の世へ渡る生命の橋である。この真理の橋を渡らなければ、誰一人後天の世界へ入ることは出来ないのである。

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五仙囲碁の度数で世界情勢を回される

五仙囲碁の度数で世界情勢を回される この朝鮮の38度線は単純に朝鮮だけの38度線ではない。これは全世界の38度線である。緯度38度線。地球の軸が朝鮮になるため、この38度線は地球の38度線である。その38度線に、上帝様は上相撲(サンシルム)を付けられた。道典を見ると「万国活計南朝鮮、清風明月金山寺)という上帝様の聖句がある。私が九歳の時、この一節がとても好きで立春の書として書いて貼り付けた。これは「万国の生かす救済の活方は南朝鮮にあり、清き風、明るき月の下に金山寺あり」という意味である。しかし当時、南朝鮮とか、北朝鮮という区別はなかった。それを百年前に上帝様が公事として南朝鮮、北朝鮮に分けておかれたのである。 そしてまたこの世界情勢に五人の神仙が囲碁を打つ形の五仙囲碁の度数を付けられた。それが今の世界の政治版図である。一次大戦の時も、二次大戦の時も、五仙囲碁の度数通りになった。一次大戦は童相撲、二次大戦は青年相撲、三次大戦は朝鮮の南北戦争(韓国動乱)のことである。上相撲といえば、まげを結った大人同士の取り組みである。 韓国動乱が勃発して南側のまげと北側のまげが戦った。そして五仙囲碁の度数により、世界列強が各々南と北に味方して三年目に休戦状態になり、それ以来五十年が過ぎた。四人の神仙とは、日本、アメリカ、中国、ロシアのことで、残りの一人は主人である南北朝鮮のことである。このような国際情勢によって休戦になり、押しつ押されつ五十年も続いてきた。その情勢を見れば、五人の神仙が囲碁を打つという形になっている。 先にも話したが、上帝様は先天の歴史で生じた冤神と逆神を解冤させるため、神明政府を建設し、解冤公事を行われた。それにしたがって、この世が回っていくのである。 上帝様の御言葉に「今や天も改め直し地も改め直して、水も漏らさないよう度数を堅く組んでおいたので、それぞれの度数が巡って来るに従い、新しい土台が開かれるであろう」とあるように、上帝様は全世界が回って行く運路を組んでおかれたのである。 地球が軌道修正をする そして公事のあと100年が過ぎれば、この世が結ばれることになる。冒頭で話したように、上帝様の公事は宇宙原理を執行されたものである。上帝様の真理は宇宙原理であり、宇宙原理が上帝様の真理である。今や、その自然摂理により、宇宙の夏が秋に変わる夏秋交易期、すなわち開闢期を迎えている。これまで人類が生きてきた時間帯は周易の原理で回ってきた。ここ日本の信徒たちも周易のことは知っているだろう。周易は過ぎし春夏の世を表したものである。地球の軌道そのものが楕円形になっていて、現在もその中で生きている。しかし遠からず周易の世は終止符を打ち、これからは正易の世界になる。 楕円形から正円形へと地球の軌道が修正される。そのように地球が軌道修正をすれば、ある地域は海に沈み、ある地域は海が陸地に変わる。いわゆる開闢である。 予言者の中には、今回地球が軌道修正すれば、60億人類の内、60分の1の1億1万人だけが生き残る、と言う者もいる。また日本人の北野という僧は「日本は海に沈み、20万人だけが生き残る」と言っている。他でもない日本人が言ったことである。日本は人口が1億以上の国ではないか。だとすれば日本の国土がほとんど沈むということである。

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中国の公事

ところで上帝様の公事は朝鮮だけに限られたものではない。上帝様は朝鮮でお生まれになったが、この地球上に生存する全人類の為に来られた方である。 今日、この西宮道場が開創されたのを記念して、中国公事の話も付け加えることにしよう。現在、中国の公式的な人口は12億である。上帝様は中国の公事をしようと思ったが、中国まで行くのは遠すぎる。忠清北道の報恩にある宋時烈が建てた万東廟に行けば、中国に行かなくとも中国の公事が出来る。 万東廟という祠は、中国、明の毅宗皇帝と神宗皇帝を祀って法要を行った所である。そのように中国の皇帝を祀り、「大明朝鮮」と書いて、明は大国で朝鮮は小国である、と自ら言った。今でも朝鮮を回ってみると、大きな廟のような所にそう書いてあるのを見る。朝鮮が明の属国になってしまった。 宋時烈は親中派である。その万東廟には中国の気運が付いているため、万東廟に行けば中国公事が出来るが、そこも遠いということで、上帝様は銅谷から約2キロほど離れた清道院という所に行き、その地名に中国気運を応じさせて中国公事を行われた。 ところで、上帝様は一度たりとも独裁的に公事を行われたことがない。上帝様は「死んだハエの鬼神の恨みが付いただけでも、天地公事にはならないのである」と話された。上帝様は同じ時代を生きた神明たちの公議をもって大小様々な事を処理されたのである。上帝様が神明たちの公議を聞いてみたところ、その結論が「清国はアラサに付けるしかない」ということだった。アラサに付けるとはどういうことか? アラサとはソ連、つまり今のロシアのことである。アラサは唯物論の国家であり、共産主義の宗主国である。上帝様は清国をアラサに付けて共産国にさせた。それで中国は毛沢東以後、今に至るまで共産世界である。言わずと知れた事だが、中国は表面的には宗教活動の自由を保障しているが、実際は許していない。 歴史的側面から中国を見てみよう。数千年の間、中国は「南蛮北狄」と言い、北京と南京を基準にして、それより南に住む者は蛮(虫けらのような者だという意味)という字をつけて、またそれより北に住む者は狄(えびす、獣のような者だいう意味)という字を付けて呼んできた。即ち、自分の国土の外に住む者はすべて虫けらや獣のような人種だということだ。また、東と西に住む者を東夷、西戎と言って、人食い人種だと人間以下の扱いをした。中国の文化がそのようになっている。数千年間異民族を侮ってきたのだ。しかし、地球上には自分たちだけが住んでいるわけではない。中国の歴史を見ると、自分たちの国を自分たちが統治した時代がほとんどなかった。たとえば清国の皇帝は満洲族である。満州族が中国を乗っ取ったのである。その前の明の皇帝は朝鮮族であり、元を建てたジンギスカンは蒙古族である。歴史を語り尽くすことはできないが、中国という国は自分たちの国や民族さえも統治できなかった国である。それなのに他の民族を踏みにじり、虫けらだとか、獣にも及ばないとか、人食い人種だとか言って、数千年間見下してきた。この話を全部しようと思えば十日あっても足りない。上帝様が人間の種を取り入れるためにこの世にいらしたというのに、上帝様の文化を受け入れようともしない。それで「中国はアラサに付けるしかない」と言われ、「中国民族は悪い事をあまりに多くしてきたので、後天の世界には入れない」とされたのである。

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朝鮮を日本に委託される

朝鮮を日本に委託される 例えば上帝様が組まれた「公事」で、次のようなものがある。韓国は李朝五百年の間に儒教中心の政治をしてきたが、多くの弊害も生まれた。両班(貴族)たちは、仕事はせずにいばるばかりであった。 私が幼い頃の話だから、ざっと70年も前の話になる。当時の朝鮮には、ハングル文字はあったが、一つの村にハングルが読める人は数えるほどしかいなく、また、漢字で自分の名前を書ける者はニ、三人しかいなかった。作男を集めて数を数えさせると、その中で賢い者は10万までは数えることが出来るが、それ以上は処理できない。それほど無知蒙昧であった。そのような状況で、いったい何ができるというのか? 話を移すと、古代より日本は朝鮮から文化を学んできた。百済の時代から積極的に文化を取り入れた。今から千年以上も前の話である。当時、全羅道の栄岩という地に王仁という学者がいた。日本は彼を招いて、漢文を学んだ。また、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時には朝鮮から姜沆という学者を連れて行き、儒教文化を学んだ。ところが文化を輸出した国の民が自分の名前すら書けないとは情けない。本来は文化民族だったのに、当時の朝鮮は野蛮人に近い状態であった。 この民族を率いて何かをされるには不充分な状態だったので、上帝様は、朝鮮民族をどこか他の国に委託しなければならないとお考えになり、委託する所を探された。上帝様は「朝鮮の民を西洋に渡せば、取り戻せないだろう」と言われた。アフリカの黒人たちが白人に連行されて奴隷にされたのを見てみなさい。また、「中国に渡せば、民が愚鈍なので責任を果すことが出来ない。日本に渡すのが最も良いだろう」と言われ、朝鮮を日本に渡して36年間植民統治を受けるようにした。私の幼い頃である。私も植民統治下で生きてきた人間だから、それらをすべて目にしてきた。 日本人がどのように植民統治をしたかといえば、まげを切り落とさせ、色染めの服を奨励し、掃除をさせた。そして学校を建て、小学校は義務教育で誰もが通うようにした。しかし植民統治のやり方というのは小学校教育以上は与えないものである。中等以上の教育を受けさせると、民族感情が芽生えて扱いにくくなるからだ。 詳しく話そうとすればきりがない。英国の人口は今でも6千万しかないが、その英国が人口10億のインドを植民統治した。彼らもインド人を小学校までしか教育しなかった。もっと教育すればガンジーのような人が出てくるからだ。 上帝様の真理は三変成道 ところで、上帝様が組んでおかれた仕組みには時間性がある。そのプログラム、時間表、里程標通りにこの世が回っていく。朝鮮民族は36年間日本の植民統治を受けたが、上帝様はその後の時代も含めて、100年間の里程標を公事として定めておかれた。 この宇宙の法則というのは、三変成道である。世運が回っていくのも三変、内的に道運が回っていくのも三変である。天地は三という数で成り立っている。陰があれば陽がなくてはならず、陰陽が合徳すれば種ができる。また、天があれば地がなくてはならず、天地が合徳すれば、物が育まれる。 そのように世運も三変して結ばれるのだが、一次大戦、二次大戦を経て、三次大戦というのが朝鮮戦争である。上帝様はそれを相撲に例えて語られた。 朝鮮の相撲の取り組みを見れば、童相撲、青年相撲と進み、最後に上相撲の大取組がある。一次大戦は小坊主同士が争う童相撲で、その一次大戦の後、国際連盟が生まれた。また二次大戦は青年相撲である。参考までに話しておくが、当時の朝鮮では、子どもは坊主頭で、青年は髪を三つ編みにし、大人はまげを結っていた。日本も昔は、朝鮮と同様にまげを結っていた。二次大戦では日・独・伊の三国が同盟を結び、日本の東條、ドイツのヒットラー、イタリアのムッソリーニが「天下を統一して三分しよう」と、10年間戦争をした。 私は二次大戦当時、現実にこの目で見てきたが、その頃の東洋は日本が独り占めしていた。朝鮮は日本の植民統治下にあった。徴兵も行われた。日本は満州全域を占領し、蒋介石を重慶まで追いつめた。南洋群島、シンガポールなどを含め、東洋はすべて日本の統治圏内にあった。ここにいる日本の人たちはよく知っているだろう。だから、日本が滅びるなど想像もつかないことだった。 この世の戦争も平和も私によるもの しかし、この天とこの地は上帝様が主宰されるものである。上帝様の御言葉に「この世の平和も私によるものであり、戦争が起こるのも私によるものである。(『道典』4:6:4)」というのがある。戦争も、平和も、世の中のすべての出来事は、上帝様の御意志によって為されるものだという御言葉である。 上帝様は朝鮮を日本に任せるため、日本に力を付けて、日露戦争に勝たせた。実際日露戦争の時、日本国内では、到底勝つ見込みがない戦争だと反対の声が上がり、学生たちは線路の上に横たわって抗議した。しかし乃木大将はそれを押し切って、強硬に戦争を進めた。それにまつわる逸話を全部話すことはできないが、日本の軍艦たった数隻で、どうやって38隻もあるバルチック艦隊を壊滅させる事ができたのだろうか?本当は上帝様が風を吹かせてバルチック艦隊を打ち破るように仕向けられたからだ。日本ではこれを神風と呼んでいるが、上帝様の公事内容を知らない人は誰もそのことを知らない。 ここにいる日本の信徒たちも、上帝様の天地公事の内容を知れば、「あぁ!この世の大小様々な出来事は、みな上帝様によるものだったのか。」と言うだろう。 背師律によって滅んだ日本 それでは、これほどまでに東洋のすべてが日本の統治圏にあったにも拘らず、いったい何故日本が負けてしまったのか?二次大戦で日本が負けたのには理由がある。その理由とは何なのか? 本来朝鮮は日本に文化を伝えた先生の国であった。先生の国をしばらくの間、掴んでおくことはできても、長く支配する事は神明界が許さないのである。そしてまた、日本は機械文明を西洋から学んだ。西洋から学んだ技術で西洋を打つことも、また神明たちが許さないのである。 上帝様の御言葉で言うと、そのような行為は背師律に触れるということだ。背師律とは、先生を裏切ってはならないという天の律法である。朝鮮も西洋も日本の先生国である。それで神明たちは、日本が不義を働いたとしたのである。 日本人には辛い言葉だが、そのため広島が原子爆弾の洗礼を受けるようになった。上帝様の公事から見ればそうなっている。それを上帝様が時間表、里程標で組んでおかれたのである。ここに座っているこの宗道師は8月15日の終戦の前に、上帝様の公事内容によって日本が降伏する事を知っていた。だとすれば、その公事内容とはどのようなものなのか? 上帝様が書いたものに「三人同行七十里、五老峰前二十一、七月七夕三五夜、冬至寒食百五除(『道典』5:308:2~3)」というのがある。ここで「七月七夕三五夜」が終戦の日を意味している。日本が降伏したのが陰暦で七月七日である。三と五を合わせると八になり、掛けると十五になる。それは八月十五日のことである。上帝様は日付まで組み込んでおかれたのである。この世が巡り行く路程をそのようにプログラムされたのだ。

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先天の歴史は戦争の歴史

先天の歴史は戦争の歴史 このようにして、姜甑山上帝様が新しい歴史を開くために人間界に来られたのである。春夏の先天の世では地球が楕円軌道で回るので、相克が支配する世の中になってしまった。故に、人間として生まれて自分の願うとおりに生きることが出来た者は一人もいない。朝鮮の人も、日本の人も、中国の人も、また西洋の人もそうである。過去の歴史を振り返れば、人類は土地を奪いあう戦争に明け暮れてきた。土地を奪うために数百兆の人を殺してきた。それが数千年の東西の歴史であった。 つまり、歴史とは戦争の歴史である。歴史上、誰一人として自分の思い通りに生きた人はなく、他人の意思によって悔しさと無念にくれて死んでいった。そのため、冤神と逆神が天地に溢れるようになった。故に、この世界を正そうとすれば、まずは神明世界から正さなければ、どんな方法をもってしても、良い世界は望めないのである。 堕胎児の冤恨 わかりやすく、日本のある一人の医者を例に挙げて話すことにしよう。彼は産婦人科の医師であったが、その夫人が全身がズキズキと痛むというので、医者に診てもらった。漢方の医者も訪ね、日本中の名医を探し回って診てもらったが、結局原因もわからず直す方法がなかった。 そんなとき、一人の友人が霊能力者を訪ねてみることを勧めた。その友人は「○○という霊能力者がいるが、原因不明の病も治すそうだよ。その人を訪ねてみたらどうだ」と言った。それでその霊能力者を訪ねた。その霊能力者が見ると、数千の小さな胎児の神明が体全体に噛み付いていた。何故そうなったのかと言えば、夫が産婦人科の医師として多くの胎児を堕胎させたからである。5ヶ月の胎児も、7ヶ月経った胎児も下ろし、産婦人科医として数千名も殺したのである。 解決方法があるとすれば、その神明たちを供養してあげるしかない、人間として生まれるはずだったのにその産婦人科医のせいで死んだのだから。ところで、供養をしたからといって果たしてその怨みが消えるものだろうか。 天地公事は神明の解冤公事 今、私は神明の話をしているが、それでは人と神明は一体どこが違うのだろうか?一言で言えば、神明は肉身を持たない人である。 秋之気神也(秋の気は神である)」、「時呼時呼鬼神世界(時よ、時よ、鬼神の世界である)」という上帝様の御言葉がある。つまり、これからは神明が主体になる世の中だ、ということである。分かりやすく言えば、昼は人が主体になり、夜は神明が主体となる。人が昼の間活動し、夜になれば寝るのと同様に、宇宙一年の春夏には人が主体になり、秋冬は神明が主体になるのだ。この大宇宙天体圏には歴史の中で冤恨を抱いた冤神と逆神があふれている。その神明たちを解冤しなければ、人間の住み良い世界を作ることは望めない。上帝様は神明と人間を広く救済するために、解冤・相生・報恩・原始返本という理念で住み良い世界を作る、といわれたのである。 まず初めに、上帝様は歴史上の冤神と逆神を全部集めて神明世界を組織された。つまり、神明政府を結成し、そこで神明たちが人間界で果たせなかった恨みを晴すようにしたのである。神明の恨みを晴らしてこそ、人間界も良い世界に成り得るのである。その内容をまとめて天地公事という。天と地の公の事という意味である。 上帝様は神明政府を建設し、神明たちにそれぞれの位置を与え、世の中が進む仕組みをお組みになった。その仕組みの中で神明たちが解冤出来るようにされたわけである。その内容を見ると、世の中が回る世運公事と、道運が回る道運公事とがある。 この世の動きを一言で説明すれば、甑山上帝様が神明の解冤公事で組まれた内容が、そのプログラム、時間表、里程標通りに現われたものである。

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原始返本により姜氏の姓を持ってこられる

原始返本により姜氏の姓を持ってこられる 人間の世に来るためには人間の身を借りなければならないのは言うまでも無い。ならば、上帝様にも姓があり、名前もあるはずではないか。この秋の季節というのは原始に返本する時なので、上帝様は全人類の始原の姓にあたる「姜」の姓を持って来られたのである。人間の世に最初に現われた姓は風氏であった。太昊伏羲の姓が風である。この風氏は数代続いた後にその血筋が途絶えてしまった。それで風貌、風体、風格など人間の体形を表す言葉になって残ってきた。その次に現れた姓が「姜」である。あの神農氏の姓が姜である。 上帝様は「今は原始に返本する時代なので、私は姜の姓を持ってきたのだ」とおっしゃった。 上帝様の尊号 そして「甑山」は号である。号とは一言で言えば、別名のことである。この世の人々はよくあだ名を付けられる。一つの村に多くの人が住んでいると、「たこ坊主」とか、「狸親父」とか、あだ名をつけて呼ばれることがある。自分の意思とは関係なく、人をからかうようなあだ名が付けられたまま、10年も20年も呼ばれ続けたりする。それで、学のある人は自ら進んで別名を付ける。例えば、姜氏で知事を務めた人なら「姜知事のお宅」、参判の職位にいた人なら「参判のお宅」となる。そのように官職で呼ばれることがよくあるが、官職に就く人はそう多くはない。それで学のある者は自ら別名を付けて、「これが私の号だから、今後はこの別名で呼んでくれ」と言う。この別名は他人が呼ぶだけではなく、自分の血縁関係でも必要である。息子が父親の実名を呼ぶことは無礼である。おじの場合もそうである。だから別名を作って、息子も、娘も呼び、甥も、友人も自分を呼びやすくする。それが号というものである。 上帝様は甑山(シルサン)の麓でお生まれになった。それで甑(シル)の字に山、つまりその地名を号になさり、「甑山」と名付けられた。それで姜甑山とお呼びするのである。

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神人合一の万事知文化が開かれる

神人合一の万事知文化が開かれる それでは、天地は何を為しているのだろうか? 天地の理法はどのようになっているのだろうか? 天地は、春には物を出して秋には滅ぼす、という作用をする。つまり出しては滅ぼし、出しては滅ぼす。ただそれだけである。10年であれば10回出して10回滅ぼす。20年であれば20回出して20回滅ぼす。天地は、春には物を出す事だけをし、秋には滅ぼす事だけをするのである。 地球一年とは草木開闢の周期である。そして宇宙一年もまた、地球一年の草木開闢と全く同じ理法、同じ秩序、同じ自然摂理に沿って回ってゆく。近来「氷河期と間氷期の交替説」というのがあったが、それも結局は宇宙一年の話である。私が話す宇宙原理というものは、易天不変、即ち天が変わっても変わることのない絶対的な原理である。この自然摂理が成熟するに伴って、人類の歴史も成熟する。人類文化の総体的な結晶体が現れるのだ。コンピューターや携帯電話を人工衛星を通して繋ぐ現代は、文明の極致時代であると言われるが、人類文化の極致とはそのようなものではない。総体的な人類文化の結晶体とは、神人が合一する文化、つまり天上の神明と地上の人間がひとつとなる文化である。 今日の科学文明というのは、ただ機械に依存して人間の生活を便利にするだけのものである。しかし、人類文化の極致というのは、神明は人に出会い人は神明に出会って神人が合一し、機械に依存せずとも自分が知りたい事はすべて知ることができる文化である。そのために真の神様がこの世にいらしたのである。 真表律師の祈り 神様はこの宇宙を主宰なさる方である。この「主」という文字は「王」という意味を持ち、「宰」と言う文字は意のままに裁断するという意味をもつ。宇宙変化の法則上、人類歴史の法則上、真の神様が人間の世に来なければならない事情があったので来られたわけである。そこに歴史的考証を付け加えると、約1300年前の朝鮮半島に真表という僧がいた。彼は仏教の僧でありながら「神様にお会いしたく存じます」と精誠を込めて祈祷した。もしも自分の願いが果たせないなら、死のうとまで思っていた。 真表は期間を定めて、その時までに神様に会うことができなければ死のうと覚悟し、自分の体を石で砕いて懺悔するという修行をした。これを天上からご覧になっていた玉皇上帝は、会ってやらなければ間違いなく死んでしまうだろうと思われた。 それで真表の前に現われ、「汝の精誠は大したものである。 私のこの姿このままの仏像を建てなさい」と語られた。その後、真表は今の全羅北道金堤の金山寺に東洋で当時最大の33尺の弥勒仏を建立した。 仏僧たちにとっては仏様が神様である。仏には二つの種類があるが、座っている仏は過ぎ去った仏であり、立っている仏は、将来開闢の時、西方浄土から歩いてこられるという弥勒仏である。このようにして金山寺に弥勒仏が建立され、この時から弥勒信仰が始まったのである。 マテオ・リッチの訴えで来られた上帝様 また、マテオ・リッチ(1552~1610)というイタリア出身のカトリックの神父がいた。彼は中国に来てカトリックを中心に世界を統一しようと熱心に布教した。生涯そこでカトリックの活動をした後、この世を去った。マテオ・リッチは孔子よりもイエスよりも釈迦よりも優れた人物であった。 彼は東洋の文化をラテン語に翻訳して西洋に伝えた。また、坤輿万国地図を製作するなど、西洋文化を東洋に取り入れた。カトリックを中心とした世界統一国を建設しようとしたのである。しかし、それを果たすことが出来ずにこの世を去り、その肉体は中国に埋められた。生前にその志を果たせなかったことが無念となり、死後、彼は天上の文明化した星々をくまなく訪ねて、人間生活に役立つものを科学者たちに霊感を与えて地上に取り入れさせた。 その結果、文明が発達し、地上の人間たちは便利な生活をするようになったが、かえって人の心はより悪くなってしまった。しかし、彼自身にはそれを改め直す何の方策も無かったので、歴史的な文化の創始者たち、例えば孔子や釈迦やイエスなど、各文化圏の創始者たちを訪ね、対策を尋ねてみたが、これといった名案が出なかった。 そこで東洋の神聖、仏菩薩、西洋文明の創始者、歴史的な東西文化の創始者たちと共に「我々にはどうすることもできないから、宇宙の主宰者であられる玉皇上帝様を訪ねて訴えるしかない」として、上帝様に申し出たのである。上帝様の御前に進み出て「私たちの能力ではこれら人類の問題は到底解決できません。真なる神様であられる玉皇上帝様が直々に人間世界に赴かれ、歴史的に絡み合ったすべてのことを整理なさり、全人類が豊かに暮らせる新しい文化を創り出してください」と申し出た。 それで真の神様、甑山上帝様がこの世に降りて来られたのである。上帝様は「私は西洋の大法国の天蓋塔に降りて天下を巡回した。その後、汝の東土に止まって30年間弥勒仏像に身を寄せ、この混乱した世を正すため、崔水雲に天命と神教を下して大道を立てようとした。しかし、水雲が儒教の枠を超えることが出来ず真法を作り出せなかったため、甲子(1864)年に天命と神教を取り上げ、私が自らこの世に降りてきたのである」と語られた。

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