上帝様の真理は人類文化の結晶体
上帝様の真理は太乙呪に始まり、太乙呪に終わる。では、この上帝様の真理によって生き残った後の社会制度はどのようなものなのか? 君師父の制度になるのだ。分かりやすく言えば、上帝様の真理をもって開闢の世で生き残ることが出来たから上帝様が親でもあり、上帝様の真理を学んで生活するので上帝様が師でもあり、上帝様の理念をもって道成徳立になり全人類が統治されるので、上帝様が君でもある。そのように上帝様の真理は君でもあり、父でもあり、師でもある、統一された文化圏なのである。人類文化のエキスがすべて上帝様の文化圏に入っている。上帝様の真理は結実の文化なのだ。
上帝様の真理をもってこの世が結ばれると、もうそれ以上はない。上帝様の真理は人類文化の結晶体である。ひとつの君師父の文化をもって、後天五万年間続くのである。では、どうして五万年なのか? 秋に実を結べば、大宇宙天体圏が凍結し一切の生物が滅亡する時が来るまで、五万年が残っている。その後天五万年の間、上帝様の君師父の文化をもって全世界が統治される。では、それはどのような世界なのか? 上帝様の真理は不義を根こそぎにし、正義を究明する真理である。真理の面では朝鮮が上帝様の真理を執り行う宗主国になるだろうが、かといって、上帝様は特定の民族を好んだり憎んだりすることはない。来たるべき世の中は、現実仙境、地上仙境、造化仙境である。人々は欲張ることもなく、悪い事をしようとも思わない。その世では皆が道通することになる。秋には万物が熟すではないか。「過ぎし世の中では道通がなかったので、人から陰害を受け易かった。しかし、私の世では皆が道通するので、他人に害を与えようとする者がかえって害を受けるようになるだろう」と、上帝様は語っている。この自然摂理というのは人の思い通りに引いたり押したりできるものではない。人間はただその変化原理に従って生きるだけである。
盲従してはならない
上帝様は「我々の為す事は人が死ぬ時に生きることであり、人を生かして自分も生きた後には幸せに暮すことである」と言われた。私たちは、宇宙を結実される為に来られた真の神様に選ばれた聖徒である。先祖の陰徳で上帝様に出会ったにしろ、自分の福力で出会ったにしろ、死ぬべき世で生きる真理に出会った以上、上帝様を信仰する聖徒として真理通りに信仰すべきではないか。
今私たちは極致文明時代を生きている。しかしその一方、言葉では言い尽くせないほど、この世は狂っている。信仰を間違えると、家庭も滅び、自分も滅ぶ。だから、盲従してはならない。
信仰とはよく知ってするべきで、目の見えない馬が鈴の音を追っていくように、人の話だけを聞いて付いて行くべきものではない。思想信仰をするためには、宇宙変化原理を勉強すれば良い。宇宙変化原理を教育する所はこの地球上で甑山道しかない。
宇宙変化原理を学ぶべき
宇宙変化原理を簡単に言うと、その基本は数である。例えば、一に二を加えれば、三になる。一、三、五、七、九は陽であり、二、四、六、八、十は陰である。これが基本である。以前は五十年勉強しても理解できなかった内容を、今は分かりやすく説明してあるので、誰でも一、二ヶ月勉強すれば、わかるようにしておいた。
宇宙変化原理を知れば、百の大学を出た以上の価値がある。宇宙変化の原理を勉強すれば、世の中の万事が分かる。過去・現在・未来が見通せるのである。これを知ると「上帝様がこの世に降りて来た理由、宇宙変化の法則上必ず来られることになっていたこと、何故100年を期限として天地公事を為されたか。」などのことが自ずとわかってくる。
私から日本の信徒たちに頼みたい事がある。私たちは信仰者である以前に人間としてこれを必ず知らなければならない。宇宙変化の原理を知れば、私たちが生きているこの世界が今どの時点に来ていて、何故上帝様が韓国に来られ、何故そのような公事をなさったのか。また、何故開闢をし、開闢する日数が何故朝鮮は49日で、全世界は3年なのか。そのようなことがすべて分かるようになる。
今はやる気さえあればいくらでも勉強できる。信仰以前にこれは勉強である。人は知らなければならない。人である以上、知っておくべきである。自分がやる気を出してするべきであり、何もせずにじっとしているだけでは何も成されない。自ら自己を改革し、自ら自己を磨くべきである。自分が精誠を尽くして学ぶべきなのだ。親兄弟も自分の代わりはできないのだ。
ここ甑山道は人を騙すところではない。間もなく開闢が訪れる。道典を見れば、上帝様の公事で全てが定められている。一次大戦、二次大戦、三次大戦、その全てを上帝様が公事をもって仕組みを組んでおかれた。五人の神仙が碁を打っているが、日が暮れて暗くなるまですることはないだろう。日が暮れると、サンシルム(上相撲)が勃発し、それと同時に病劫が起きる。包み隠さずに話せば、日本は海の中に沈んでしまう。これは日本の学者たちも言っている事である。
何はともあれ、不幸にも私たちは開闢期に生まれた。しかし、これは国籍、民族を問わず、誰もが迎えることである。人類は皆、ひとつの天の下、ひとつの地球に住んでいるからである。