朝鮮を日本に委託される
例えば上帝様が組まれた「公事」で、次のようなものがある。韓国は李朝五百年の間に儒教中心の政治をしてきたが、多くの弊害も生まれた。両班(貴族)たちは、仕事はせずにいばるばかりであった。
私が幼い頃の話だから、ざっと70年も前の話になる。当時の朝鮮には、ハングル文字はあったが、一つの村にハングルが読める人は数えるほどしかいなく、また、漢字で自分の名前を書ける者はニ、三人しかいなかった。作男を集めて数を数えさせると、その中で賢い者は10万までは数えることが出来るが、それ以上は処理できない。それほど無知蒙昧であった。そのような状況で、いったい何ができるというのか?
話を移すと、古代より日本は朝鮮から文化を学んできた。百済の時代から積極的に文化を取り入れた。今から千年以上も前の話である。当時、全羅道の栄岩という地に王仁という学者がいた。日本は彼を招いて、漢文を学んだ。また、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時には朝鮮から姜沆という学者を連れて行き、儒教文化を学んだ。ところが文化を輸出した国の民が自分の名前すら書けないとは情けない。本来は文化民族だったのに、当時の朝鮮は野蛮人に近い状態であった。
この民族を率いて何かをされるには不充分な状態だったので、上帝様は、朝鮮民族をどこか他の国に委託しなければならないとお考えになり、委託する所を探された。上帝様は「朝鮮の民を西洋に渡せば、取り戻せないだろう」と言われた。アフリカの黒人たちが白人に連行されて奴隷にされたのを見てみなさい。また、「中国に渡せば、民が愚鈍なので責任を果すことが出来ない。日本に渡すのが最も良いだろう」と言われ、朝鮮を日本に渡して36年間植民統治を受けるようにした。私の幼い頃である。私も植民統治下で生きてきた人間だから、それらをすべて目にしてきた。
日本人がどのように植民統治をしたかといえば、まげを切り落とさせ、色染めの服を奨励し、掃除をさせた。そして学校を建て、小学校は義務教育で誰もが通うようにした。しかし植民統治のやり方というのは小学校教育以上は与えないものである。中等以上の教育を受けさせると、民族感情が芽生えて扱いにくくなるからだ。
詳しく話そうとすればきりがない。英国の人口は今でも6千万しかないが、その英国が人口10億のインドを植民統治した。彼らもインド人を小学校までしか教育しなかった。もっと教育すればガンジーのような人が出てくるからだ。
上帝様の真理は三変成道
ところで、上帝様が組んでおかれた仕組みには時間性がある。そのプログラム、時間表、里程標通りにこの世が回っていく。朝鮮民族は36年間日本の植民統治を受けたが、上帝様はその後の時代も含めて、100年間の里程標を公事として定めておかれた。
この宇宙の法則というのは、三変成道である。世運が回っていくのも三変、内的に道運が回っていくのも三変である。天地は三という数で成り立っている。陰があれば陽がなくてはならず、陰陽が合徳すれば種ができる。また、天があれば地がなくてはならず、天地が合徳すれば、物が育まれる。
そのように世運も三変して結ばれるのだが、一次大戦、二次大戦を経て、三次大戦というのが朝鮮戦争である。上帝様はそれを相撲に例えて語られた。
朝鮮の相撲の取り組みを見れば、童相撲、青年相撲と進み、最後に上相撲の大取組がある。一次大戦は小坊主同士が争う童相撲で、その一次大戦の後、国際連盟が生まれた。また二次大戦は青年相撲である。参考までに話しておくが、当時の朝鮮では、子どもは坊主頭で、青年は髪を三つ編みにし、大人はまげを結っていた。日本も昔は、朝鮮と同様にまげを結っていた。二次大戦では日・独・伊の三国が同盟を結び、日本の東條、ドイツのヒットラー、イタリアのムッソリーニが「天下を統一して三分しよう」と、10年間戦争をした。
私は二次大戦当時、現実にこの目で見てきたが、その頃の東洋は日本が独り占めしていた。朝鮮は日本の植民統治下にあった。徴兵も行われた。日本は満州全域を占領し、蒋介石を重慶まで追いつめた。南洋群島、シンガポールなどを含め、東洋はすべて日本の統治圏内にあった。ここにいる日本の人たちはよく知っているだろう。だから、日本が滅びるなど想像もつかないことだった。
この世の戦争も平和も私によるもの
しかし、この天とこの地は上帝様が主宰されるものである。上帝様の御言葉に「この世の平和も私によるものであり、戦争が起こるのも私によるものである。(『道典』4:6:4)」というのがある。戦争も、平和も、世の中のすべての出来事は、上帝様の御意志によって為されるものだという御言葉である。
上帝様は朝鮮を日本に任せるため、日本に力を付けて、日露戦争に勝たせた。実際日露戦争の時、日本国内では、到底勝つ見込みがない戦争だと反対の声が上がり、学生たちは線路の上に横たわって抗議した。しかし乃木大将はそれを押し切って、強硬に戦争を進めた。それにまつわる逸話を全部話すことはできないが、日本の軍艦たった数隻で、どうやって38隻もあるバルチック艦隊を壊滅させる事ができたのだろうか?本当は上帝様が風を吹かせてバルチック艦隊を打ち破るように仕向けられたからだ。日本ではこれを神風と呼んでいるが、上帝様の公事内容を知らない人は誰もそのことを知らない。
ここにいる日本の信徒たちも、上帝様の天地公事の内容を知れば、「あぁ!この世の大小様々な出来事は、みな上帝様によるものだったのか。」と言うだろう。
背師律によって滅んだ日本
それでは、これほどまでに東洋のすべてが日本の統治圏にあったにも拘らず、いったい何故日本が負けてしまったのか?二次大戦で日本が負けたのには理由がある。その理由とは何なのか?
本来朝鮮は日本に文化を伝えた先生の国であった。先生の国をしばらくの間、掴んでおくことはできても、長く支配する事は神明界が許さないのである。そしてまた、日本は機械文明を西洋から学んだ。西洋から学んだ技術で西洋を打つことも、また神明たちが許さないのである。
上帝様の御言葉で言うと、そのような行為は背師律に触れるということだ。背師律とは、先生を裏切ってはならないという天の律法である。朝鮮も西洋も日本の先生国である。それで神明たちは、日本が不義を働いたとしたのである。
日本人には辛い言葉だが、そのため広島が原子爆弾の洗礼を受けるようになった。上帝様の公事から見ればそうなっている。それを上帝様が時間表、里程標で組んでおかれたのである。ここに座っているこの宗道師は8月15日の終戦の前に、上帝様の公事内容によって日本が降伏する事を知っていた。だとすれば、その公事内容とはどのようなものなのか?
上帝様が書いたものに「三人同行七十里、五老峰前二十一、七月七夕三五夜、冬至寒食百五除(『道典』5:308:2~3)」というのがある。ここで「七月七夕三五夜」が終戦の日を意味している。日本が降伏したのが陰暦で七月七日である。三と五を合わせると八になり、掛けると十五になる。それは八月十五日のことである。上帝様は日付まで組み込んでおかれたのである。この世が巡り行く路程をそのようにプログラムされたのだ。