原始返本により姜氏の姓を持ってこられる
人間の世に来るためには人間の身を借りなければならないのは言うまでも無い。ならば、上帝様にも姓があり、名前もあるはずではないか。この秋の季節というのは原始に返本する時なので、上帝様は全人類の始原の姓にあたる「姜」の姓を持って来られたのである。人間の世に最初に現われた姓は風氏であった。太昊伏羲の姓が風である。この風氏は数代続いた後にその血筋が途絶えてしまった。それで風貌、風体、風格など人間の体形を表す言葉になって残ってきた。その次に現れた姓が「姜」である。あの神農氏の姓が姜である。
上帝様は「今は原始に返本する時代なので、私は姜の姓を持ってきたのだ」とおっしゃった。
上帝様の尊号
そして「甑山」は号である。号とは一言で言えば、別名のことである。この世の人々はよくあだ名を付けられる。一つの村に多くの人が住んでいると、「たこ坊主」とか、「狸親父」とか、あだ名をつけて呼ばれることがある。自分の意思とは関係なく、人をからかうようなあだ名が付けられたまま、10年も20年も呼ばれ続けたりする。それで、学のある人は自ら進んで別名を付ける。例えば、姜氏で知事を務めた人なら「姜知事のお宅」、参判の職位にいた人なら「参判のお宅」となる。そのように官職で呼ばれることがよくあるが、官職に就く人はそう多くはない。それで学のある者は自ら別名を付けて、「これが私の号だから、今後はこの別名で呼んでくれ」と言う。この別名は他人が呼ぶだけではなく、自分の血縁関係でも必要である。息子が父親の実名を呼ぶことは無礼である。おじの場合もそうである。だから別名を作って、息子も、娘も呼び、甥も、友人も自分を呼びやすくする。それが号というものである。