太母高首婦様の生涯は?

太母様は一八八〇年陰暦三月二十六日、全羅道潭陽で御生誕なさいました。名字は高、御名は判禮です。後に甑山道の道門を大きく拡大させた車京石聖徒の従姉にあたり、一九〇七年に上帝様に出会われました。上帝様が御天して二年後、一九一一年(辛亥)陰暦九月二十日、聖霊の感化を受けて道通なさいます。
大道の宗統を継いだ太母様は、この時初めて道門をお開きになり、道運を開拓なさいました。一九二六年(丙寅)からは母の神として十年間にわたって天地公事を執行なさいます。そして、一九三五年(乙亥)陰暦十月六日、全羅北道群山の五聖山で天の宝座に戻られました。(これを仙化といいます)
○ 私はこの世に来るため、母岳山の山神として降り立っていた。その時、上帝様が御降臨なさったので、金山寺の弥勒仏像に上帝様をご案内してお仕えした。その後上帝様は、客望里の姜氏家門に御聖誕なさり、私は譚陽の高氏家門に生まれた。 (11:17:4~6)
○ 太母様は、首婦として十年間にわたる天地公事を執行され、人類の冤恨と罪業を代贖して億兆蒼生を新たな生命の道へ導いて下さった。(11:1:7)