甑山道は「教」ではなく「道」である

甑山道は「教」ではなく「道」である

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甑山道といえば、人類歴史上初めてその名前を聞く新しい宗教で、他の宗教とは体裁そのものからして違う。通常、儒教、仏教、キリスト教などの既存文化圏の宗教では「教」の字を付けているが、甑山道では「道」と名付けている。
では、なぜ「道」と呼ぶのか?「道也者、自由之理、自由之気」。即ち、道とは、自らによる理であり、自ずとそうなる理であり、そうならざるをえない理である。また、自らによる気であり、自ずとそうなる気であり、そうならざるをえない気である。つまり、道とは自然の摂理であり、そうならざるをえない理、そうなるだけの気である。
また、道とは天地よりも先んじて、万有の本源、基礎、根になるものである(先於天地、万有之本源也)。言い換えれば、道は結びの実である。既存文化圏の「教」が花だとすれば、「道」は成熟した実にあたる。故に、甑山道は体裁そのものから「甑山教」ではなく、「甑山道」なのである。
今は、人間開闢をする時
ところで、何のためにこの現実社会の中に甑山道が存在しなければならないのか。この大宇宙天体圏内で万有が生成されるが、宇宙万有は自然の摂理に基づき、自然秩序に従って往来するものである。 
ところが我々が生きている今のこの時点は、宇宙年においての夏秋交易期、つまり宇宙が夏から秋に変わろうとしている重大な開闢の時期にあたっているのである。
宇宙変化の原理がどのようになっているかを簡単に説明しよう。地球が太陽の回りを一周すれば、それを一年といい、そこから春夏秋冬の四季、生・長・斂・蔵という変化作用が生まれる。
我々が住むこの地球は楕円形の軌道を回っているが、太陽の光を多く受ける時は春夏になり、少し受ける時は秋冬になる。それで、春には物を出し、夏には育て、秋には実を結び、冬には場を閉じるという、生・長・斂・蔵の作用が生まれるのである。そして秋になれば、春に物を出し夏に育てたエキスをすべて抜き取って実を結ぶ。もし秋に実を結ぶことが出来なければ、春夏は何の価値もない不要の過程になってしまうであろう。これと同じく、宇宙にも一年があり、地球の一年と全く同じ方法で運行している。時間の法則で見れば、地球一年は129,600度、宇宙一年は129,600年である。
地球の一年が回る道理を知れば、この大宇宙天体圏が一周する宇宙年を知る事もできる。全く同じ法則によって大宇宙天体圏が循環しているからである。一年の春夏秋冬、四季の生長斂蔵の変化過程をまとめて言えば、地球一年とは草木農事を営む周期であり、宇宙一年とは人間農事を営む周期である。
幸か不幸か、私たちが生きているこの時点は、宇宙一年における夏秋交易期、つまり夏から秋に変わる開闢期にあたっている。地球一年には草木開闢があるが、同じように、宇宙にも人間農事を営んで人間の種を取り入れる人間開闢がある。今は正にその時点である。