子孫は先祖の遺体

子孫は先祖の遺体
では、どのような人が甑山道に出会えるのだろうか?上帝様は「先祖の陰徳で、私を信じるようになるのだ」と語られた。また、「陰徳のある家の子孫が入った後に離れようとすれば、神明たちが『君はここを離れれば死ぬ』と背中を叩いて戻らせるが、悪を積んだ家の子孫が入ろうとすれば、『ここは君の来るべき所ではない』と額を打って追い出す」と言われた。これは何を意味するのか?
人には誰でも、3千年、5千年、6千年前の先祖がいる。つまり自分の体には先祖の遺伝子が入っているのだ。最初の先祖が自分から100代前だとすれば、その先祖が99代前の先祖に遺伝子を伝える。99代前の先祖は98代前の先祖に遺伝子を伝える。98代前は97代前に遺伝子を伝える。そのように子々孫々受け継がれて、今日の私の体まで来たのだ。遺伝因子は取り替えることが出来ないではないか。
しかし世間の人たちはそういうことを考えない。そこにある桃の花は1万年、2万年の昔から遺伝子が変わることなく今日まで受け継がれ、雄しべも雌しべも同じ形で、花の色も変わらず、2万年前の花の形そのままである。同様に人も最初の先祖の遺伝子が継承されて私の体の中にあるのである。わかりやすく言えば、春になって種を蒔くと、芽が出て伸びる。そして、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、処暑…、このように二十四節季に従って、秋の実が生る時まで育つ。それと同様に最初の先祖の遺伝子が子々孫々受け継がれて、現在、私の体内にある。私という人は最初のお祖父さんの遺伝子なのだ。父母が残した財産を遺産という。「遺」には受け継ぐという意味がある。遺産は必ず、息子や孫にだけ受け継がれるもので、血筋でない者はくれとも言えないし、またあげることも出来ない。これは東洋文化圏だけではなく、世界中どこでも同じである。それで受け継ぐという意味の「遺」を使って、遺産というのである。それと同じく先祖から遺伝子を受け継いだとして、私の体を「遺体」ともいうのである。
先祖の陰徳で上帝様を信じるようになる
最初の先祖から子々孫々と悠久な歳月を経る中で、国と民族、社会のために奉仕し、生涯正しく生きた先祖もいただろうし、また反対に、人の物を盗んだり、強盗をしたり、人を殺したり、人妻を陵辱したり、人の財産を騙し取ったり、陰謀を図って罪のない人を死に至らしめた人もいたであろう。それを五千年前の先祖から五千年後の私に至るまで、同時代を生きた神明たちがすべて評価をする。その行いの良し悪しをひとつひとつプラスマイナスして総合的に検討した後、「あいつは悪徳家の子孫だ」と評価されれば実ることが出来ない。反対に、「あの人は功徳家の子孫だ」と同じ世代を生きた神明たちが評価してくれることもある。それは自分の思い通りにはならない。このように先祖たちの陰徳で上帝様を信仰するようになるのだ。
上帝様は、「各姓の先霊神たちが必要な子孫一人を得るために六十年間精誠を注ぐ。しかし一人も得られない者も多いのだ」と話された。今、神明たちは自分の子孫を救うために、現実を生きる私たちよりももっと忙しいのだ。
ひとつ例を挙げれば、「夢にお祖父さんが現れて、『これを信じれば生きられる、信じればよい事がある、甑山道を信じなさい』と言うので来た」と話す信徒がいた。また、「原因もなく体が痛むので、占ってもらったところ、『何時何処へ行けば、助かる道がある』と言われて来た」という信徒もいる。このように各先祖の神明たちが大騒ぎしている。甑山道の信徒たちが道場に座って太乙呪を唱えれば、神明たちも一緒に唱える。ここ日本の信徒たちの中にもそういう経験のある人が多くいるだろう。その神明はみな自分の先祖である。
五千年前、三千年前に死んだ先祖が、食うものを探して空中を彷徨ったり、意地悪をすることはない。その多くの先祖が自分の子孫に付いて、子孫を守り、助けているのである。
子孫は先祖の命の綱
先祖がそうするしかない理由をわかりやすく話そう。五百年、一千年経った古木が、腐って倒れたとしよう。ところがその古木から小さな芽がひとつ生えてきて育つ事がある。それが五百年、一千年経った古木の子孫である。その芽を取ってしまえば、古木は永久に死んでしまう。その芽をよく育てれば、古木も生き続ける。その芽ひとつが五百年、一千年経った古木の命綱なのである。それと同じく、五百年、一千年、五千年経った先祖も、今度の開闢期に子孫が一人も生き残れなければ煙のように消えてしまい、それで終わりである。たとえ障害者の子孫であっても、その一人が生き残ってこそ、五千年、六千年前の先祖神も生きる事が出来るのだ。神明たちは自分たちが生き残るためにも子孫を救わなければならないので、非常に忙しい。その救済の核心が太乙呪なのである。