人間として来られた上帝様は、どのような生涯を送られましたか。

上帝様は一八七一年(辛未)陰暦九月十九日、全羅北道古阜郡(現在の井邑市)の客望里という村の晋州姜氏の家門に降誕なさいました。名前は一淳といい、三十九年の生涯を過ごされました。上帝様は幼少の頃より非凡なところがあり 、書堂では神童と呼ばれました。青年時代には、天下を遊歴しながら様々な奇跡を行われました。多くの人々の病を治して救うことには苦労を惜しまなかったのですが、ご自身のためには何ひとつなさいませんでした。
一九〇一年の陰暦七月七日、三十一歳になられた上帝様は、それまで閉ざされていた天地大神門(人間界と神明界を繋ぐ門)をお開きになりました。新天地の道通の門を開かれたこの時から、九年間にわたって天地公事を執行なさいました。天地公事とは、天と地と人間の世界の秩序を新しく組むものです。そして、将来人間が秋の開闢を克服する事が出来るための救済の道、医統を伝授なさり、後天五万年の地上仙境を建設なさいました。
一九〇九年、天上の伴侶者としてこの地にいらした太母高首婦様に宗統をお継がせになったあと、人間としての生を終え、全羅北道金堤市金山面銅谷において、天の宝座にお戻りになりました。これを御天といいます。